あくまでも個人的な意見かつ、何か答えが出ているわけではありません。そしてデジタルアートのジャンルが確立されつつあり、活躍するアーティストが大勢いる中で、リアルを重視する作家からの意見という視点でお読みいただけると幸いです。
パソコンの描画ツールはマテリアル(画材)になり得るか
→私はならないと思います。実際に筆に墨やアクリルを含ませた時の感覚、匂い、キャンバスに乗せた時の奥行きはリアルでしか創出できません。どんなに精巧な技術で何千種類というツールができているとしてもモニターを通して視覚での認識である限り、リアルを超えることはできない(画材にならない)と考えます。
リアルは超えられないという考えの原点
自身の作品のテーマは、二面性や多面的に物事を捉え、表面だけでなく奥行きや時には反対側をも見て、マクロで物事を考える事を伝えたい思いがあります。そういった思いから光影や凹凸を重視した作品をモノクロームで制作し、対比の美しさを表現しています。デジタルは物質として存在していないところを考えると、現段階ではリアルは超えられない、という結論になりました。
そもそも「美術」とは デジタルでも、子ども、誰でも絵を描くことはできます。普遍性が高い中、本質的な分類の「美術」というのは、1000年以上の歴史がある「学術、学問」です。この視点から「美術」を考えると、歴史上の価値を踏まえた上で「価値を保持すること」が必要になってきます。①文化的価値を守るもの②文化を進めるためのものがあり、自身は後者の文化を進めるためのもの、つまりコンテンポラリーアートを追求し ています。デジタルアートのコンセプト自体を文化を進めるためのコンテンポラリーアートと定義する方はもちろんいます。そのコンセプトが歴史の中に組み込まれ、文化的価値の1つになったら素晴らしいと思います。
あくまでも個人的な意見として歴史の延長線で学術的価値を考えた時に、デジタルアートが「美術」になるのはもう少し先になるのでは?と考えました。
なぜIT会社とパートナーシップを結んでいるのか
ここまで批判めいた書き方になってしまいましたが、決して拒絶しているわけではありません。実際にパートナーシップを結んでいるVma plus株式会社さんとは様々なプロジェクトを行ってきましたし、今後も行っていきたいと思っています。それはなぜかというと理由は2つあります。
①全く違うベクトルでのデジタルアートに可能性を感じている
具体的には、 • 物理法則を無視できる(一定の法則がある中で) • Web3.0が提示する非中央集権的な考え方からなる「価値証明」や「透明性の保証」
この2つです。
例えばモーションなどは物理法則を無視できるデジタルならではの表現だと思います。(人が飛ぶ、あり得ない形で動くなど)
②リアルを大切にする企業だから
6月24日(土)に「メタ祭2023」というメタバースのイベントが開催されました。リアルは東京タワーで開催され、ゲストとして出演させていただきました。ハイブリッド開催であったように、どちらにも寄り添っているところが自身の思いと親和性が高いと感じています。
昨今、デジタルを追求するあまりリアルが置いてけぼりになっていると感じることがあります。例えば原画をNFTアートにしたらリアルの作品はどうなるのか?という話がありました。この時、NFTアートを買ってくれた人に原画をプレゼントするという話になったのですが、それは間違っていると思います。それぞれの価値があって然るべきだと思うからです。 そういったところから排除ではなく共存の道を見出したい、という思いが今回の結論です。
現代アートは鑑賞者に問いかけを行います。鑑賞者は思考し、自分の中で答えを見つけようとします。この行為と同じように、是非皆さんの中で自分なりの答えを探していただければと思います。
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